卒業式

大学を卒業した。高校を卒業した春から四年間、通った。教養学部の学位を得た。


大学全体の卒業式は本郷キャンパスにて行われる。午前が文系学部、午後が理系学部だ。教養学部の授業は原則的に駒場キャンパスにておこなわれ、また理系学科もあるのだけれど、文系学部のひとつに数えられているからとっとと本郷に向かわなければならない。だから朝は早い。六時半に急ぎ起き、いつものパンを急ぎ入れる。

止まっていたらしい田園都市線は、自分と同居中の友人が池尻大橋駅に着くや否や運転を再開する。良い調子だ。安田講堂前にはもうスーツや袴の卒業生が集っている。列に並び入場する。座れる。

総長の祝辞には総長の人となりが凝縮されていると感じる。昨年四月に総長に就任したばかりと聞くけれど、立派だ。「東日本大震災は未だ決して終息していないのです」という言葉から、一年次に参加した被災地学習支援ボランティアの記憶がよぎる。顎髭を生やしていた自分を「ひげし」と呼び慕ってくれた中学生たちは元気だろうか。世の中には、自分の拙い知さえも必要としてくれる人々が多く存在する。与えられるものなら、与えなければならない。社会に出る者としてはなおのことだ。早く起きて良かった。
答辞も見事だ。若干の緊張感が感じられる言葉には自信が満ち溢れている。拍手は祝辞に対するものよりも多い。知り合いではないけれど、ああいった同窓生を得られたことも有難いことだろう。

家族とともに写真と昼食を取ると駒場キャンパスに急ぐ。教養学部の学位伝達式がある。
900番講堂内の雰囲気は安田講堂内のそれよりカジュアルだ。スピーチをおこなう学部長や一高記念賞受賞卒業生からは笑みがこぼれる。パイプ・オルガンの音色が荘厳に引き締める。

さらに18号館に急ぐ。教養学科超域文化科学分科の各コースに分かれ、学位記授与式が執り行われる。
馴染みの同期とお世話になった先生方が揃う。漸くホッとする。名前が読み上げられ、主任の先生から学位記を手渡される。ああ、四年間やったんだなと思う。

渋谷に移動し謝恩会に参加する。先生方や同期と写真を撮り歓談する。今まであまり聞くことのなかったタイプのお褒めの言葉を頂く。この先生はこういった具合に自分を考えていてくれたのか。もっと早く言ってくれればいいのにと思ってしまう。嬉しいからだ。握手をし、別れる。


コースの選択にミスはなかった。決してなかった。正しかった。素晴らしい先生方に巡り会え、教わり、いくばくかは知見を深めることができた。ものごとの考え方を検証し、練磨することができた。
直ぐには会えない人々ばかりだろうし、二度と会えない人々だって少なくないだろう。けれどもこの卒業式の日に握手を交わした多くの人々のことを忘れることはないし、四年間の学生生活から得た多くのものを失うことはない。記憶の中に学びの姿勢と人とを生かせ続けられれば、それが良い。おしまい。