朝昼 食パン(トマト・ケチャップ、マヨネーズ)

ここ数日は体調が優れない。ばっちり風邪にかかったというわけではないから風邪が抜け切らないと言うといささかズレている。熱はすこしあった。頭痛も少し。咳は出ない。鼻が出る。今日一日はふらつきだった。

連れと四文屋へ向かう。うーん、タンやカシラなんてたまに食べるととても旨い。塩っぱいからキャベツも進む。ビールをコクコク飲む。御馳走様。

渋谷、西武は混まない。かなりカジュアルなお店のおねえさん店員二人が「やっべーそれ」などなど談笑している。あれだけ空いているとカジュアルにおしゃべりしたくなるよね。無印良品を通過しLOFTに至る。おおーこんなに繋がっているのね。けれどもタイピンが置いていない。ドンキのものは種類が極めて限られているし、置いてあるものはなんだか頓珍漢だ。東急の十九時閉店に驚く。

早めに部屋に帰る。明日は卒業式だ。シャツにアイロンをかけているといつも村上春樹がよぎる。だけれど彼の小説に登場する人物らってそう頻繁にアイロンがけしていたっけ?
自分の卒業論文は九つの長編小説を扱ったのだ。日常の表象ではなくそれらにおける比喩表現だった。
ヴォリュームとしては学生生活の集大成と呼ぶことができるかもしれない。それでも実に断片的な勉強ばかりしていたものだから、因果から至ったとしか言えない。初めて自発的に読んだ小説が忘れもしない『1973年のピンボール』だったのだ。それは実家の書棚(いまもある。背が高く、ガラス戸になっている)の奥にひっそりとあった。
出来に満足しているだろうか?不満足と五分五分かな。確かに言えることは、学びは多かったということだけだ。十分なのかもしれない。ただし、卒業論文執筆の過程における学びが全てというわけでは決してないし、自分はすっかり学び終えたというわけでも決してない。むしろ明日から先に学ばなければならないことのほうがよほど多い。死ぬときまで何かを学ぶのは疲れるだろうけれどね。
そう思うと、何か寂しいだとか何かやり残したことがあるだとかいう想いはない。小学校の卒業式なんてどういったわけか悲しくて、退場の際にはぼろぼろ泣いてしまったものな。惜しくはなく、前途に為すことを期待しながら臨む。初めてね。そうした卒業式を迎えられることは、喜ぶべきことだろう。十三年間て長かったよ。